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 本クラブHPの連載エッセイ『康駿視点』を読まれた会員(匿名)から、感想2編が寄せられましたので御紹介いたします。(平成23年10月)
   ・今日は秋晴れの穏やかな日です
   ・氣づき


 【今日は秋晴れの穏やかな日です。】


 康駿視点に絡んで、ここのところ思うこと、感じることを少々。
 
 今時の保護者
 先月の初め学校祭がありました。文化祭、体育祭これほどにも頑張るかというフィバーぶりの生徒達。2年生は全クラス映画作り、3年生は創作で演劇、更に個人、グループで発表。初めて参加した1年生はおおいに刺激されていました。来年度はそんな1年生も、頑張ることでしょう。異常なほどの頑張りにふれ、内なるエネルギーを感じるよりも、普段の抑圧を感じます。
 まぁ生徒はこれで発散されてもいいかなと思うのですが、親のマナーの悪さに辟易しました。
文化祭2日、体育祭1日。一般公開をしているのですが、平日なのに三日間の来校者1500人です。生徒数1080人ほど。卒業生も多少いましたが、毎日来ていた親もいたようです。
 駐車場も充分ないので、事前に公共交通機関で来て欲しいという連絡をしたにもかかわらず車で来るは来るはで学校が用意した駐車場は9時過ぎにはいっぱいになり、あぶれた
車は、路上に駐車をしようとし、駐禁がとられるので他を探してくださいと言うと、大丈夫ですと強引に停めていく。(駐禁をとられた車もあり)学校は町中にあり駐車場に預けてきてもこられる所にあります。中には職員駐車場に強引に入ろうとしたりして、これが本校の親の姿かと思うと情けなくなりました。しかし、これは序の口でした。
 開会式がある体育館には、生徒より早くに入り、我が子の姿を追いかけている。飲食は禁止と書いてある張り紙の下で、おにぎりを頬張り、お茶を飲む。中には化粧までしている親がいた。
 体育祭においては、更に朝早くから来校し職員は河川敷に車を停めるはめになりました。保護者はビデオ片手に保護者席を設けたにもかかわらず、グランドを我が物顔で動き回る。私がいたところにも母親が侵入してきた。ここは入らないで下さいと言ったら、2,3歩下がってここならイイですかと言ったので、常識で考えて下さい。といったらやっと下がっていった。わかっていても押すだけ押してみるのである。来賓席の椅子を勝手に持って行き座っていたり、職員の前に三脚をたて、ビデオを撮り出したりという話も聞いた。そして、最大級は生徒の応援団席に入り込んでいたという話を聞き唖然とするしかなかった。
 我が子は幼稚園児から、私のかわいい○○ちゃん。高校生になっても○○ちゃん、何も変わらない。生徒も嫌がるどころか、手を振り合っている。どんな大人になるのだろうか、どんな大人に育てるつもりか。
 その後の授業の折りに、生徒には嫌みを言っておいたが、どれだけ伝わっただろうか。
 で、 エッセイにありました。「気づき、年齢相応の常識・・」この言葉につながるのですが、常識とは何か。と考える日々です。


 常識で考える。
 生徒に常識で考えよ。と言ったりしていたのですが、何が常識かを知らないのです。教えなければ、常識はわからないのです。元を知らないものに、常識と言ってもちんぷんかんぷんです。
 以前勤めた学校で、電車の中で化粧をする女性がいる。どう思うかということで話をしたときに、「なぜいけないの」と言う意見が多く出た。常識では家でするでしょうと言っても全く通じないのです。彼女たちの多くが電車の中で化粧をしているのだ。化粧は本来、出かける前に家ですることだ。と言っても「意味わからんし・・」と言うばかりであった。他人がどう思おうと関係ないのです。彼氏が認めてくれればいい。仲間に今日の化粧いいねと言われることが大事なのです。そのためにどこで化粧をしようが勝手なのです。本来の化粧の意味がないのです。これではどこまでいっても平行線です。化粧ということの価値観が違うのです。
 たとえとしていいかわかりませんが、生徒が信号無視をして交差点を通り過ぎるのを目
撃したので、「壁に耳あり、障子に目あり」だよ。と言ったら、「のぞき見をしていた」と言うことですかと返ってきた。常識というか言葉を知らないといったほうがいいかもしれませんが、いろいろと知らないのです。
 昨日、部活の折りに2年生が修学旅行に行っているので、1年生だけでした。2年生から学ぶこともたくさんあるけれど、反面教師と思えることもあるよと言ってから、ところで反面教師って分かるよねと念を押したら、即答できる生徒がいなかった。常識もなければ、言葉も知らない。
 以前、生徒に「あなたたちは、数学や英語は教えてもらっているかもしれないが、常識は教えてもらってないね」と言ったことがありますが、昨日もまた、事実を突きつけられた思いがしました。勉強ができることが全てであるような現実、常識が何か。その価値観をどう教えていくか。勉強を教えるがごとくに常識も「口うるさく」教える必要があるのです。
 前述の親たちがどのように常識を教えることができるでしょうか。
親の躾力の低下。教師の教育力の低下、教科を教えることができても常識を教える心がなくなっている。
 東大に何人入れるかに躍起になっているが、まず東大の魅力を語るべきでは。しかし、本校には京大出の教師はいるが、東大出の教師はいない。
 東大に行く指導、医学部に入る指導はしているようだが、その先の生き方に触れる指導がどれだけされているのだろうか。
 以上、徒然なるままに…。






 【氣づき】


「氣づき」から
 エッセイをプリントアウトし、読み返しました。
「選手に気づかせる」
「ティーチング」
「コーチング」
「ヒント」


 選手のレベル、感性、理解力それぞれに違いがあるので、巧みに使い分けることが大切ですね。
 遠い昔ですが、私は高校時代にコーチングはしてもらったという思いはありました。しかし、何かが物足りなかったのですが、きっとティーチングが少なかったのです。
 なぜ、この練習が必要か。この動きはどこを鍛えるか。理論的なこと、どんな競技者になれとか。何も教えられないまま、言われるがまま練習をしていたと思います。「気づく」ということにも遠く及びません。いろいろな意味で低いレベルの人間でした。
 高校から始めた陸上ですが、あれよ、あれよという間に記録が伸び2年生からは東海大会に出られるようになり、県選手権で優勝するまでになっていました。(当時の県のレベルが低かった)簡単に勝てる、誰でもできる事。と思っていました。
 簡単にできてしまうことに、価値がみいだせるでしょうか。学校で伝達表彰があるわけでもなし、壮行会があるわけでもない。評価されることも記憶にありません。
 それよりもクラス担任からは「部活をやめて、もっと勉強をしろ」と散々言われていました。田舎の中学ではそれなりの成績でしたが、高校では苦戦を強いられていました。当時、クラスメートが、「運動部に入っているやつは、馬鹿ばっかり、勉強から逃げて部活をやっているんだ」なんて言っている輩もいました。
 どちらかというと運動をするよりも本を読むことの方が好きだった私にとっては、速く走れることに何の意味があるんだ。と悶々としていました。
 そんな悩みに答えてくれる人はいませんでした。ただの練習嫌いと思われていました。顧問のO先生は新任2年目、まだまだバリバリの現役選手で海外遠征等に出かけることも多くありました。練習も生徒と一緒にやり、今思えば練習内容は当を得ていました。やはり私の原点はここにあります。しかし、口数の少ない人であり、練習の意味や、未來を語ってくれることは少なかった。やめたいという私に、それでいいのか?と言いながら真綿で首を絞めるがごとくにやめることを思いとどめさせられました。練習次第ではもっと記録が伸ばせるとか、インターハイを目指してみよとか、具体的な目標を示してもらえば、もっと真摯に練習に向かえたかもしれません。私の理解力がたらなかったに過ぎないのですが、今更ながら、本質を教えるというとの難しさ、分かっているはずという思い込みで本来伝えたいことが伝わっていないということが多々あるのではないでしょうか。今になって分かることです。
 そんな経験をしているので、生徒には、「なぜ、この練習が必要かと言うことをあなたたちに知ってもらいたい。私が高校生の時、それを分かって練習をしていたらもっと違った競技者になっていたと思う。それが残念だからあなたたちには理解した上で練習をして欲しい」
 今月のエッセイを読ませていただき、こんなことを思い出しました。
生徒にはどこまで理解されているかわかりませんが、繰り返し教え、指導する中で生徒が自ら考え行動できるきっかけになればと思うこの頃です。