康駿視点    第3回(2011.7.8.) ー岡島宣八先生逝くー      

 
 日本選手権の始まる2日前の平成23年6月8日未明、恩師・岡島宣八先生が84歳で亡くなられた。
 先生と私の関係は師弟というだけにとどまらない。現・佐野高校そして現・筑波大学陸上競技部の先輩でもある。
 先生の奉職先は、佐野市立城東中学校〜佐野高校定時制〜佐野高校全日制〜県教育委員会〜佐野女子高校及び佐野高校教頭〜佐野女子高校及び佐野高校校長であり、栃木県高等学校体育連盟副会長〜会長、そして佐野スパルタ倶楽部理事長〜会長でもあった。
 私はと言えば、佐野商業高校定時制〜佐野高校定時制〜佐野高校全日制〜田沼高校〜県教育委員会〜鹿沼東高校校長であり、栃木県高等学校体育連盟副会長、そして佐野スパルタ倶楽部理事長〜会長である。
 私のこれまでの人生は先生の後ろを追いかけているようで、ほとんどを同じような職場や立場で過している。
 
 日本選手権の最終日6月12日が通夜式であった。私は日本選手権最終日に出かけたことから、式の時間には間に合うことができないことは十分に予想で来ていたので、菅原さん以下JUVYのメンバーにお任せすることになっていた。
 通夜式が終わり、クラブハウスにJUVYのメンバーが集まり、「お清め」が始まった。延々と続く思い出話。涙そして笑い、そして議論。
 気がつけば深夜2時。明日は(と言うより今日は)私は朝8時に式場に行くことになっている。6日の打ち合わせで喪主の一浩さんから「市長とともに弔辞を読んで欲しい」と言われていた。話す内容をメモにしてあるだけでまだ書いていない。酔った勢いで「ええーい、ままよ」と叫んでそのまま熟睡。
 そして、6時に起きて簡単にまとめて式場に出発した。
 「先輩はあまり型にはまらずに話されたほうが自然でよいと思いますよ」とは佐野高校陸上部の後輩で写真家のKの弁。「言葉につまったり、泣いてくれればよい写真が撮れますから、そちらに期待します」と不謹慎な発言で追い打ちをかける。そう言えば、彼も昨日は12時まで一緒だった。あれから莫大な量の写真を整理したそうだ。ということは、彼もほとんど寝ていないはずだが、しっかりとしている。
 式場にて先生の安らかな御顔を拝顔してから火葬場に行く。親族ではないので遠慮してロビーのソファーでKと現代佐野高校事情などを話しながら時間を過ごしていると喪主から呼ばれ、お骨を拾わせていただく。Kの車で式場に戻り告別式までの時間を過ごす。
 告別式では市長が長い弔辞を読む。私の弔辞は読むと言うより、要旨を落ち着いて語った、と言った方がよいものであった。
 その後、お骨とともに菩提寺に行き、最後のお別れの儀に参列。そして埋葬。
 再び式場に戻り、お清め。献盃の音頭を取らせていただき、会食。
 隣席は大僧正(この方は先生と私の佐野高校時代の共通の教え子)、前席は市長(先生の教え子で私にとっては佐野高校陸上部の先輩であり、中学時代のコーチ)という中で2時間。話題の多くは先生の話なのだが、大僧正から「素晴らしい弔辞でした」とお世辞をいただいたり、市長とゴルフ談議をしたり、現実の世界では悲しみばかりが漂っているわけではない。
 お開きになるや、大先輩のTさん(佐野高時代は陸上競技部と野球部を兼務しながらも円盤投の関東チャンピオン、全国大会7位)が、「奥澤、次行くぞ!」ということで、Kの車で後を追い、行きつけの寿司屋にて一献。昔話に花を咲かせ、8時に解放され(?)自宅に戻る。
 
 こんな日は一生に一度。こんな一日を過ごせた者は私だけ。そんな思い、そうして多くの思いとともに横になった。
 
 以下に加筆訂正した弔辞を載せる。                     合掌
 

 
 弔辞
 「君が宣八(のぶはち)の教え子か」
 「君が佐藤さんの後輩か」
 「佐野にはスパルタ倶楽部という陸上競技のクラブがあったはずだ、今はどうなっている」
 私が大学時代、陸上競技部の大先輩から何度も尋ねられた質問です。
 そのような質問に答えるたびに、私は佐野市の陸上競技の歴史は「佐野中学、佐野高校そして佐野スパルタ倶楽部の歴史」なのだと強く実感していました。
 
 1918年佐野中学OBの佐藤信一氏は日本選手権三段跳で優勝しました。
 佐野高校80年誌(1981年版)によると、佐野中学陸上競技部創部は1923年となっていますが、佐野中学OBから日本一の選手が生まれた1918年こそ、佐野市の陸上競技発祥の年としてよいのではないかと思われます。捕捉させていただきますが、その後、佐藤先輩はパリオリンピックでは役員(監督)として参加し織田幹雄選手の指導をしておられます。まさに、日本の陸上競技の先駆者でありました。
 
 その後、先生がお生まれになられた昭和2年に佐野中学は県下陸上競技大会で初の総合優勝を達成し、昭和4年には関東中学で総合優勝をするなど、その強さは関東でも群を抜いており、全国にその名が鳴り響いていたようです。
 そのころ、佐野中学陸上競技部OBを中心として佐野スパルタ倶楽部が創設されました。1928年のことです。スパルタ倶楽部とはイギリスに古くからあるアキレス倶楽部に対抗すべく命名されたもので、学校単位のOBクラブ組織としては我が国で最も古いと言われています。
 戦前のスパルタ倶楽部の強さは強烈で、「倶楽部内では日本代表選手になった者だけが一流選手として認められ、国際試合の最中にスパルタ倶楽部の選手同士が競技場内で『おう、○○』などと挨拶をかわすことなど、不思議なことではなかった」と先生から伺ったことがありました。
 
 戦後になってもその伝統を守るべく、1951年には大澤駅伝、1966年には奨励陸上が立ちあげられました。これらの大会は全て先生が中心となって開催、運営されてきたものです。
 また先生は、佐中のOB組織であったスパルタ倶楽部の輪を地域全体に広げることやOBだけでなく高校生も一緒に活動できるようにするなど、幾多の改革に積極的に取り組まれ、縦に横に大きなクラブとなるようご尽力なされておりました。
 
 「スパルタ倶楽部で成功した選手の苗字は『お』から始まる選手が多い。奥澤、君に期待するぞ」
と佐野高校に入学したばかりの私を呼び、「お」から苗字が始まる先生から激励していただいたことを昨日のように覚えています。
 「お」から始まる苗字を持つ先輩は活躍している人が多いようです。
 小野操先輩は走高跳、奥澤善二先輩は3000m障害でオリンピックに出場、大澤龍雄先輩は3000m障害で日本記録を樹立し国際大会で優勝、大野嘉夫先輩は走幅跳や400mハードルでアジアを舞台に戦っていました。そして現市長の岡部正英先輩は日本高校記録を樹立しています。
 私は全く先生の期待にはこたえられませんでしたが、私の教え子たち、先生にとっては孫弟子たちが、素晴らしい活躍をしてくれました。それはもちろん多くの経験をもとに、未熟な私を後方から支えていただいた先生のお力に他なりません。私が佐野高校で指導しているころには、高校生たちも誇らしげにスパルタ倶楽部のマークの入ったシャツを着て試合に臨んでいました。そのような中から、7名の日本代表選手も誕生しました。
 佐野高校が県内総合29連勝、関東大会総合優勝2回、全国大会総合4位などの実績を残すことができたのも、全て先生のお力添えで達成できたものです。特に、日本の高校陸上競技の歴史の中でどこの高校も達成していない全国大会400mR・1600mR、同一校3年連続同時入賞という記録があります。確率からすると天文学的数字と言われていますが、この記録も先生が佐野高校校長時代に達成することができたものです。
 当時、私は監督をさせていただいていたわけですが、いつも励ましていただいた先生には感謝の言葉以外浮かびません。今、あらためて「自惚れを消してください」とお願いしたい気分です。
 
 人との出会いは縁と運です。
 しかし、縁や運が生まれるにはわけがあります。
 そのわけを分析すれば、私たち倶楽部員はみんな陸上競技が好きで、佐野という地で一緒に陸上競技に励んだという事実だけが浮かび上がります。一所の場所で一緒に一生懸命やったという事実だけが歴史を作ってきたのです。
 先生のご指導をいただき始めてから45年。その間の教えから、旧制佐野中学、佐野高校そして佐野スパルタ倶楽部の歴史を通して「出会いから生まれる縁、出会いで開ける運というものが、人生という大河を深く広くしてくれる」ということ学ぶことができました。
 
 佐野という街。ここで始まった陸上競技。そして陸上競技を通してできた仲間をこれからも大切にし、まもなく佐野の陸上競技が100周年を迎える今「伝統を誇りに未来に向かって歩む」ことを御誓いし、弔辞に替えさせていただきます。
 本当にありがとうございました。
 安らかにお休みください。
 
 平成23年6月13日 
 旭城陸友会、佐野スパルタ倶楽部会長 奥澤康夫


 

 
 2017年の佐野市の陸上競技発祥100周年を祝うため、記念事業準備委員会を今年度中に発足いたします。関係諸氏のご協力をここにお願い申し上げます。



(注)過日、鹿沼東高校を訪ねてこられた佐野高校の歴史に詳しいN氏から「佐野中学陸上競技部は学校創立の1901年にはあったのではないか」との説をいただきました。今後、佐野高校同窓会室等にある資料を調査の上、正確な陸上競技部史を作成したいと思いますが、現時点では現在までに公表されている記録の中から1918年を創部の年としていることをご理解ください。


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