康駿視点    第4回(2011.8.8.) ーインターハイ序破急ー      

 
 熱戦再来 北東北総体の陸上競技が終了した。
 総体という言葉は私にはあまりピンとこない。やはりインターハイの響きがよかった。
 ゆえに、あえてインターハイとする。
 私にとってのインターハイは今年が最後だ。もちろん、監督や役員として参加するインターハイということである。教員になってからこれまで、夏休みの前半の生活はすべてインターハイを中心にまわっていた。
 強い時も弱い時も、多人数で参加できた時も、かろうじて出場することができた時も、まさしく「私だけが知っている」年に一度の至福の週であった。
 私にとってのインターハイは学校から現地までの移動と現地宿舎と競技場の往復だけではなく自己の宇宙観確立のための壮大な旅でもあった。
 車窓を流れる景色を眺め、会場地のもつ異質な文化に触れた。多くの人との出会いがあり再会があった。陸上競技の関係者だけでなく、旅館の主や二度と会うことはないであろう人との炉辺(カウンターとか座敷とも言う)での出会いなども含め、魅力的な旅を何度も楽しんだ。
 そのような旅は県予選〜地区予選を勝ち抜いた者だけに与えられるものだ。まさしく出場権(「券」と言った方がわかりやすい?)を得ることは、人生を豊かにするものであった。
 私の母校は佐野高校、最後の勤務校は鹿沼東高校であるが、両校ともすでに関東大会で敗れ全国大会への出場権を逸している。OB会長として現在校校長として、このことは残念でならないが、仕方がない、か。
 それでも、近年の私はJUVYを通してインターハイ出場選手とかかわってくることができた。特に、この3年間は教員生活のカウントダウンが刻まれる中での特別な3年間でもあった。さらには、この3年間は他県の先生方との交流が、これまでにないくらい深く、一生忘れられないものであった。
 この3年間、インターハイで体験し印象に残ったことを「序、破、急」とし、もう一度振りかえってみたい。
 
 【序・奈良にて】
 平成21年度のインターハイは小池先生が盛岡南の顧問として闘った最後の大会である。結果は2年連続両リレー決勝進出という偉業を成し遂げた大会でもある。先生から大会中、直接の対話や電話で何度も相談されたことがうれしかった。
 この大会、千田先生は黒澤尻北高校に転勤になっており、4×100mRの選手を連れてきていた。実は今年の北上インターハイ100mに出場した、当時1年生の高須晃宏君もリレーを走っている。今から思えば、彼はインターハイの舞台に静かに、ひかえ目に出てきた感じであった。ここで彼が何を思い、何を感じたかは知る由もないが、とりあえず序の舞台に乗った。  
 
 8月28日、雨の開会式終了後、公式練習開始時刻の3時までに時間があったので宿舎に戻り休んでいると、千田先生から「3時前に宿舎に伺います」の連絡をいただいた。先生はいつもこうなのである。本当に気がきく人なのだ。まもなくタクシーが来た。
 遠慮なく同乗させていただき会場に向かった。
 話とはその時のドライバーとの対話から浮かんだ話である。
 「奈良や京都は空襲をよく受けなかったものですね。」と私。
 この質問にドライバーは、
 「フェノロサのおかげです。フェノロサが日本の寺院、仏像、浮世絵などのさまざまな文化財保護に立ち上がってくれたからです。それを、母国アメリカでも訴え続けたからアメリカ軍部はこの街や京都を空襲しなかったのです。」と返した。
 しかし、対話はあくまでも現象で終わる。深さはない。
 問題は、フェノロサがなぜそのような言動をしたか、を知ることにありはしないか。 
 フェノロサは明治維新後の日本は盲目的に西洋文明を崇拝し、日本人が日本美術を大切にしていないことも感じていた。そして、そのことに強いショックを受け、日本美術の保護に全身全霊をかけて立ち上がった、と言われている。(自己資産増幅説がないわけではない)
 
 今、欧米文化崇拝が消えたわけではないし、戦後形を変え大きくなった部分も多い。
 しかし、日本人は五感で感じるものを言葉で表す感性を持っている。
 例えば、日本には俳句というものがある。5・7・5で表す中に季語があり、切れがあり、余韻さえある。日本人はそのようなことを多くの場面で感じ、こまやかに表現してきたのである。つまり感性ということである。
 芭蕉がタイムスリップしてテグに舞い降り世界選手権を観れば、どんな感性で句を作るか想像してみたらいい。びっくりするような句を作ったに違いない。そんな事を考えることは決して悪いことではない。
 
 極限の状況におかれた時、人は偏差値であらわされるような能力より感性の働きで勝負する。日本人はそのような分野に秀でている。
 スポーツの世界でも同じだ。事実、そのような指導者や選手に私はたくさん逢ってきた。
 
 「スポーツと感性」についてまとめなければ、と自分に課したのが奈良でのドライバーとの対話からであった。
 

 【破・沖縄にて】
 夏が変わった。猛暑ではない激暑である。
 平成22年のインターハイは日本で一番涼しい(?)沖縄で開催された。
 
 私は沖縄についたら直ぐに駆け付けると決めていた場所があった。沖縄独特の焼物、壺屋焼を学びに栃木から一人修行に来ている19歳の若者に会うためである。
 彼は某高校に優秀な成績で入学したが、残念ながら不登校になってしまった。そんなときに、彼に沖縄の牧師さんが声をかけた。そうして、その牧師さんが保証人となって一人沖縄に向かったのである。
 久しぶりに会う彼は立派な青年になっていた。
 もともと独立心は強いが、友達思いの優しい子であった。その独立心や共生心は、今強烈なエネルギーとなって彼の周りを渦巻いているように見えた。
 これまで多くの若者に会い、会話を重ねて来たが、おおよそ同じ年齢の若者に比して、独立の心も共生の心もはるかに高いのではないかと感じた。
 なぜ、そのようなことを確信めいて言えるかといえば、滞在中のある晩、夕食を一緒に食べた時、彼は「これまで、今、そして明日からの自分の内面」を包み隠さず、「自分の心を自分の言葉」で話してくれたからである。
 最終日、彼に会ってから帰ることにした。
 面会後、「タクシーで飛行場に行かなければ間に合わない」と告げると、「先生、私が送りますよ」と作業用の軽トラに私を乗せ飛行場まで送ってくれたのである。19歳の若者が運転する軽トラが堂々と市街地を走る。その時の軽トラは、笑うことなかれ、私にとってはベンツに思えた。飛行場で彼と握手をし、激励をして別れた。
 このような若者と知り合いだったことに、私の幸運さを感じた。なぜなら、目立つことだけにうつつを抜かすような同年代のスポーツ馬鹿とは違う若者がいるということを、確かに実感することできたからである。自分にも他人にも気を使い、友達を思う。そうして、目立たないところでも、何かに価値を見出して頑張っている若者が身近にいたのである。
 
 このインターハイでは黒澤尻北高の応援団の舞(この表現でよいかどうかはわからないが)を観た。最初どこの学校かわからなかったが、千田先生から教えていただき驚いた。
 旧制中学は人間の総合力を高めることに力を注いだことは、旧制中学の卒業生が真のリーダーとしてはばたいたことでもわかる。ところが、旧制中学が新制高校に変わってからは、いつの間にか進学のために偏差値を上げることにのみ目標が凝縮され、高偏差値=エリートとの概念が生まれ、そのような偏狭的人間を輩出することが目的の学校に価値を求める現象が、日本にとって常識となっていった。本来知識は高く広く使われなければならないはずなのに。
 黒澤尻北高が数少ない旧制中学の流れを引く学校として生き残ってほしいと感じた。
 それは、薄っぺらな文武両道などとは全く別の精神を持つものであり、先の若者に感じたことと私の内面ではほぼ同じ成分の液体として広がった。
 
 競技力だけを高めたい心はよくわかる。されど、人間としての総合力を培うことの大切さをあらためてまとめてみたいと思った沖縄での体験であった。


 【急・北上にて】
 8月2日17時40分、定刻に新幹線は着いた。何度目の北上だろうか。
 とは言っても、実は3日前にも北上にはいたのである。
 インターハイ総合開会式参加の翌日、八戸でバレーボールを観戦、帰途北上で途中下車した。北上には一泊し、二日間関係選手の最終チェックと会場の様子を見た。
 
 例によって「草のホテル」にチェックインする。このホテルの居住性は良い。食事もよい。(とは言っても朝食しか食べたことはないのだが…)ところが、今回に限り喫煙可の部屋になった。いやな雰囲気がないわけではない。しかし、これがインターハイ。わがままは言えない。
 明日3日から、いよいよインターハイの陸上競技が始まる。
 その前に明日は9時から高須君の最後の調整練習に付き合うことになっている。自身三度目のインターハイながら個人種目に出るのは初めての高須君は、地元のインターハイで、それどころか自転車で競技場から5分のところにある自宅で今何を思っているのか。興味はあるが、そこは選手各自の闘いである。自分との戦いが一生の宝になる。自分で宝は掘り出すものだ。
 
 平成18年12月。JUVY冬季合宿に宮崎工業高校の稲垣先生、盛岡南高校の千田先生が見学に来てくれた。翌19年12月には千田先生がJUVY合宿に初参加した。20年2月には温かい宮崎から雪の降る栃木に稲垣先生が合宿に来た。その一月後の3月には再度千田先生も佐野で合宿した。以降、千田先生は仲間の先生方を誘い何度も来佐した。そのうち逆になり、私が岩手に呼ばれる機会が多くなる。もちろん宮崎にも呼んでいただいた。ますます仲間意識は強くなる。3年前の埼玉インターハイのマイルリレーでは宮崎工業と盛岡南がそれぞれ3,5位に入賞した。その時には両チームに分け隔てなく助言させていただいた。国体では栃木のテントに来て私に挨拶してから召集所に向かう、といったことまでするようになった。岩手や宮崎に行く時には、吉永一行、品田直宏、齋藤仁志、矢代雄紀らを必ず同行させた。一昨年、昨年と8月には2年続けて北上でJUVY夏合宿を開催した。
 ちなみに奈良インターハイでは、前年度の埼玉に引き続きマイルリレーで決勝に残ったチームは2チームであったが、その2チームこそ宮崎工業と盛岡南だった。しかも盛岡南は先述のとおり、両リレー二年連続決勝進出という偉業も成しとげた。インターハイにおいて同一校が同大会の両リレーで決勝に進むと言うことは本当に厳しいことを実感している私としては我が事のように喜ぶことができた。
 彼らの指導する選手は、もはや他人ではない。情が移るなどと生易しいものではない。全身全霊をかけて彼らの指導する選手に氣を与えてやりたい。そんな心境で教員最後の年のインターハイの陸上競技開催地の北上にやってきたのである。
 

 岩手県北上市。和田宏とマヒナスターズが唄った“においやさしい白百合の〜♪”ではじまる「北上夜曲」の北上である。(ちなみにシラユリ(ヤマユリ)は北上市の市花とのこと)
 昭和の大合併で黒澤尻町は6村と合併し北上市となったという。1954年のことである。ちなみに1954年は千田俊一先生生誕の年であった。
 その北上にある、日本さくら名所100選およびみちのく三大桜名所「展勝地」に桜満開の時期に招待され、それまで「梅は好きだが桜はどうも…」の考え方を一変させられた。
 また、8月第1土曜日から3日間開催される「北上・みちのく芸能まつり」では、北上を代表する郷土芸能「鬼剣舞」や宮澤賢治の書物にも登場する「鹿踊り」で魂を揺さぶられ、祭り最終日に開催される花火大会では最前列の桟敷で見学させていただき、その迫力に圧倒された。
 さらには、訪北するたびに海の幸、山の幸を一杯御馳走になった。中でも割烹「鎌倉」の味わいは格別である。北上の昼飯では「時代屋」の“もつ焼そば”(モツ入のみそ味の焼そば)や“北上コロッケ”(北上牛、二子芋と言う名のサトイモ、しらゆりポーク、和賀アスパラが材料)などを味わった。
 そうして温泉だ。瀬見(せみ)温泉、夏油(げとう)温泉いずれも連れていっていただいた。

 

 平成23年7月27日午前10時半ころ。
 インターハイ開会式で青森に向かう新幹線の車中、それも北上駅付近を通過中に突然気づいた。
 彼らとは「兄弟」だったのだ、ということに。
 小さいころ、兄弟で同じ遊びに熱中した。一つの目的に向かって兄と私はすごい集中力を発揮した。私の二人の倅たちもそうだった。そのことは中学、高校となるにしたがって兄弟の遊びから、同じ目的を共有する他人との「義兄弟」的な関係に変わって行く。一度「義兄弟」にたどり着くと、おおくは一生の付き合いとなる。今回の土産は「益子焼のぐいのみ」にしたが、偶然とはいえ正解だった。つまり“親の血を引く兄弟よりも♪”ということである。
 
 そうだ、千田先生たちとはいつの間にか「陸上競技を共通の遊びとする兄弟」になっていたのだ。とすれば、高須君や高橋君(3000mSC)たちは甥っ子だ。我が子でも弟子でもない、ちょっと遠慮しながら教えてやる甥っ子だ。箱根駅伝の朝、激励した東洋大学の千葉君も甥っ子だったし、中京の毛利君や籾木君も甥っ子だったのか。「俺の甥っ子だよ」と自慢する叔父の気分を味わえばよいのか、と一人納得した。
 
 そんな思いから、青森の宿舎で私は以下のような「JUVYと多少の縁を持ちながら全国高校総体に参加する諸君に伝えておきたいこと」を一気に書き上げた。
 それを7月30日、彼らに渡した。
 

 一流と三流の違い
  レースや試技は記憶に残らないほどの時間で終わる。
 しかし、試合の日は、朝起きてからレースが終わるまでいろいろなことが頭をよぎる。
 この間の精神状態をコントロールできるかどうかが一流と三流の違いである。
 恐怖に打ち克つ心や失敗を恐れぬ心を持ち、やるべきことだけをまとめられる心の支配ができる人、すなわち他人との闘いより己の心との闘いにどれだけ闘争心を持っているかが一流と三流の違いなのである。

 
 生き様
 生き様とは普段の態度である。君たちは、「試合は練習の如く緊張せずにのぞみ、練習は試合の如く失敗は許されない」といった心境で生きてきたはずである。
 強い陸上競技部に行くことより、強い陸上競技部にしようとしてきた君たちの試合に臨む姿は「凛として颯爽たるもの」に違いない。
 そんな心境で過してきても、君たちは歴史の流れの一こまを生きているにすぎない。
 しかし、君たちは母校陸上競技部の歴史が生み出してきた価値や意味を伝統として継承し、さらに磨きをかけているという自覚を持って生きてきたはずだ。それが歴史なのだ。
 先輩方がそして同僚が身に付けてきた同じユニフォームで全国大会に出場する意味を十分に理解し、納得して、身にまとってほしい。
 「過去のあらゆる体験」と「現在の君たちとの出会い」に人生をささげてきた指導者とともに、「英知を尽くして未来に向かう」という、人生の交差点にいる喜びを全身全霊で表せば、君たちの素晴らしい生き様はこの北上の地で一層質を高めるに違いない。

 
 勝利の女神
 勝利の女神は必ずいる。女神と言うくらいだから女性にちがいない。
 まだ間に合う。女性にモテル顔かどうか、鏡を見て研究すべきだ。
 そしてその顔で最後まで試合に臨めば、勝利の女神は君たちに必ずほほ笑む!



 平成23年8月2日午後11時。
 草のホテル610号室。まだ眠くない。北上での課題を再確認するため少し考えた。
 これからの5日間はしっかりと競技を見つめながら、陸上競技というものを確認したい。競技場内では、どうしても虫の目になりがちなので、鳥の目でインターハイを観るということを自らのテーマとした。「昼は鷹の眼、夜は千鳥、夢の中では賢治とミミズク」だ。
 
 鳥の目でスタンドから眺めていたら、「もう一つのインターハイ」が始まっていることに気づいた。高校関係者は闘いであるが、大学等の関係者にとってのインターハイは「勧誘」であり、もう一つのインターハイとは「勧誘」のことである。
 私は体育会の推薦合格ではない。家人も同様である。当時そのようなシステムがあったこともしらない。ついでに言えば倅もそのシステムにお世話にはなっていない。不思議なことに、(全然不思議ではないか)JUVYスプリント界最初の教え子新里敏幸も、(今のところ)最後の教え子齋藤仁志も推薦合格ではない。それが彼らの魅力を倍増させてもいる。(と思う)
 
 奈良そして沖縄で兄弟から「甥を某大学に推薦してくれないか」と言われたので、その某大学(複数)に話を持ちかけた。
 事実例・その1
 「俺の甥で活きの良いスプリンターがいるけれど推薦入学について考えてみてくれないか?」
 「それなら、その兄弟が私に直接来てお願いするのが常識じゃないですか」だってさ。
  おいおい、何を考えているのだ。日本でいう常識と言うのはそういうものなのかいな。

 事実例・その2
 「俺の甥で活きの良いスプリンターがいるけれど、進学後は月に一度JUVYで練習したいと言っているのだが、その条件で推薦入学はできないかね?」
 「それは無理ですね。大学へきたら、うちの選手ですから、うちで管理します」だってさ。
 おいおい、何を言うのだ。管理できれば強化はできるとでも思っているのかいな。
 私としては、某大学を応援したいからこそのコーディネーターなのだが、どうしてわからないのだろう。まあ、こんなことは実は日常茶飯事なのはとうの昔から皆様ご存じのはず。 
 
 話は1992年に遡る。私、筑波大学に内地留学中。某教授との短い会話。
 「大学の指導者は高校の指導者を一段下に見ていませんか?」
 「そんなことはない」
 それ以上話は進まなかった。念のためこの話題に挿入しておく。
 
 以下、多少回り道をする。
 平成23年7月5日、松本龍復興対策担当相が被災地での放言をめぐり引責辞任した。
 このことについては「管内閣への自爆テロ説」なども浮上したが、それはここではCUT。
 被災者の声は以下の通り。
 「いったい何様のつもりか」「国と地方は対等の立場であるべきなのに」「知恵を出さないやつは助けない、と言うけれど努力しなければならないのは、まさに国のほうだ」「国と地方は対等ではないということがわかった」「政府だけでなく、国会議員もコップの中の争いはいいかげんにしてほしい」
 この叫びを見た時、ふと思った。
 (大学と高校の関係によく似ているな)と。
 
 もう一つのインターハイ関連で何か良い話題はないのかな、と期待していると……あった。
 事実例・1
 某大学の指導者が「名門校以外の学校に注目している」とのコメントをしたことを間接的に聞いた。私は未だ話したこともないその指導者を追い、挨拶をした。本音はまだわからないが、その大学は応援したい。
 事実例・2
  某大学監督が“日本陸上競技学会『一般会員』入会のご案内”なるものを持って、スタンドにいる私の所に来た。聞けば「『陸上競技愛好者・実践・会員相互の努力』をキーワードに大学での研究内容の情報の共有化ができる」らしい。入会してみないとその真意はつかめないが、とりあえず入会したい。 
 
 一貫指導における軸脚はどこにどう置くのか。
 このことは、もう一つのインターハイにおける重要な課題に違いない。
 
 花巻市郊外に花巻新渡戸記念館があるが、そこで知った新渡戸稲造の言葉「願わくはわれ太平洋の橋とならん」は私にとっての風神か?雷神か?
 「願わくばわれ………とならん」

 私だけのインターハイは終了した。そうして一つの記録が残った。
 それは、私が佐野高校を指導していた時に達成したささやかな記録に関連するもので、4×100mR・4×400mR同一校三年連続入賞という記録で、日本高校陸上競技史上唯一の記録である。
 今年は埼玉栄が王手をかけていたが、両種目とも準決勝で落選した。
 そうして、今年「兵庫・滝川二」と「京都・洛南」が1年目を突破した。
 「滝二」と「洛南」の挑戦は「新潟」「大分」「山梨」へと続くのであろうか。それとも、そんなことは頭にないのだろうか?
 以下、私の本音である。
 「いつかはどこかが…。それでも、現職中に並ばれないでよかった」


 平成23年8月7日深夜。まもなく日付がかわる。
 一緒にいた千田先生、小池先生に言いたかったことがあったが我慢した。いいわかったこととは「今の俺にはシンデレラの気持ちがよくわかります」であった。
 この時刻、終わりたくない、と思い、何とか時間を忘れようとしたが時は止まらず、急の章は結びを迎えた。
 多くの指導者は来年を見据えている。そのことは私に届いた情熱溢れんばかりのメールでわかる。すでに彼らは、「ここから、これから、朋共再興」の心が身中充満しているに違いない。
 では、来年からの私はどうなるか。まだ結論は出せない。
  
 草のホテル610号室。日付は変わって8月8日。
 私はすでに私だけの「序・破・急」の舞台から降りている。

 薄暗い部屋の天井にボーッと星座が見えた。もちろんその星座は私だけにしか見えない。
 
 俺はスポーツだけで生きてきたわけではない。宮澤賢治の生き方のように、スポーツも科学も文学も芸術も信仰も、その他全てのことを合わせた宇宙を知りたいがために生きてきたのだ。
 
 星座はそのようにつながっている、ように見えた。
 
 

 結びになりますが、東日本大震災の被災を受けながらも大会期間中JUVYの関係者を歓待してくれた宮古工業高校の小池先生や千田俊一先生をはじめとした北上陸上競技協会関係諸氏に無限の究極の心からの感謝を申し上げます。
 岩手の皆様にお会いでき本当によかった、と思っています。
 ありがとうございました。
 再会を楽しみに生きていきます。
 

 

  ・「康駿視点」バックナンバー 
     第1回ー人間関係ー(H23.05.08)
     第2回ー速さと強さー(H23.06.08)
     第3回ー岡島宣八先生逝くー(H23.07.08)
  ・Circle-VUVY8 HP 連載 「JGMからの”四季の風”」 バックナンバー へ