康駿視点    第11回(2012.3.8.) ー 邂逅は神の御指示 ー      

 
 厳しかった寒さもいつのまにかなごんでいるようです。凛氣とゆっくりと散歩する休日の朝、八幡様の階段を照らす朝陽にも、春の優しい日差しが感じられます。(今年は遅いな)と思っていた我が家の福寿草も咲きました。私の好きな梅の花も一輪、二輪と、香りを届けてくれ始めました。
 3月1日に卒業式を終えると、これからは入学試験、年度末の会議が続きますが、そうこうしているうちに私の38年間の教員生活が幕を閉じることになります。朝陽に優しさを感じ、草木に色香を感じるなどとは、最近まで思いもつかなかったことです。
 
 38年前の4月1日。新品のスーツに身をつつみ、まだ工事中だった県立佐野商業高校へスーパーカブ号に乗り校門を颯爽と(?)くぐりぬけたことが昨日のようです。
 この38年の間は世の中が刻々と変化し、教員にもだんだんと厳しいものが求められてきましたが、よく耐え、しぶとく生き延びてきたな、と思っています。
 それはもちろん、自分自身の努力と我慢の結果かな、と自惚れることはできますが、38年間辛いとき・悲しいとき、いつも私を励まし支えてくれた家族はもとより、ともに歩んできた方々に感謝することを忘れるわけにはいかない、ということを実感しております。
 

 さて、「 四季の風 〜康駿視点〜 」を書くのも今回を最後にしたいと思います。
 
 幕末の激動を経て明治と改元されたのは1868年のことです。薩摩の西郷隆盛、長州の高杉晋作、土佐の坂本竜馬など、多くの志士が、熱き思いを一つのベクトル上に乗せ、大胆かつきめ細やかな感性をもって新しい世の中を作り上げる基礎を築きました。
 
 それから77年後の1945年、あまりにも悲惨な沖縄におけるアメリカ軍との戦い、そして広島、長崎への原爆投下の後、第二次世界大戦は終結しました。
 その後日本は、連合軍による占領を経て国際社会に復帰、高度経済成長の中、経済大国として発展してきました。
 
 しかし、慢心していた我が国はバブルが弾け、苦しい経済状況が続く中で、戦後66年目にして東日本大震災、福島第一原発という未曽有の出来事に直面し、さらには世界的不況の影響も受け、我々がこれまで味わったことのないような厳しい状況にあります。
 
 「『明治維新』『第二次世界大戦』と大きな社会的な変革を経てきたわが国の『新たな変革』が今この時である」と言い切ることは決して無謀ではないでしょう。
 世の中を見渡す限り、我々は今、大変な時代、不透明な時代の中に身を置いていることは間違いないからです。同時にそのような時代を生き抜かなければならないことも覚悟しておかなければなりません。

 今、私は思い起こしています。
 私が教員として過ごした38年間に、世界で、日本で、学校で、そして自分の身の回りで、どのような出来事があったかということを…。 
 今、私は想像しています。
 5年後、10年後、20年後、30年後の、世界は、日本は、そして自分たちはどうなっているのだろうかと…。
今、この二点について考えておくということは、我々がこれから先の不透明な世の中を生き抜くために必要な財産となるのではないでしょうか。
 そして、その財産こそ、これから生ある限り続く『過去と未来の交差点』すなわち『その時折。今、その時』に必要とされる『判断力』として生かされるはずなのです。


 再度歴史に目を転じましょう。
 おそらくこれまで、必死に時代の中を生きてきた多くの人たちには「文明はどこまで進歩するのだろうか」などということを予想する術もなく、ただただ身の回りにある文明を最高と信じ、時代を先取りするなどといった考えは決してなかったことでしょう。
しかし、どのような世の中であろうと、人々にとって普遍でなくてはならないものがあります。たとえば『健康な心身』で生活しながら『平和な世界』を築くことなどは、ごくごく基本的なことと言えましょう。
 そのような基本的なことを貫く時に必要とされるのが、瞬時に判断し、行動に移し、実践していかなければならない『人としての力』です。その力こそ『義』であり『勇』なのです。
 
 今、私は目を閉じると自分が育ってきた場所が浮かびます。その中に家族がいます。もう少し眼をつぶっていると自分を鍛えてくれた師が、そして友がいる情景が見えてきます。
 実は、私たちの正しい判断力や行動力そして実践力はそのようなところで培われてきたはずなのです。生まれ育ててもらった処を忘れ、そこに誇りを持って生きられない者に、正しい判断力や行動力そして実践力など育つはずがないのです。 
 
 私は父・久司、母・トモの次男として昭和26年12月30日に誕生しました。小さい頃は早熟な兄へのコンプレックスがひどく、勉強も運動もダメな子どもでした。小学校3年生まで、かけっこは女の子に負けていました。そんな私が50年近く陸上競技とかかわってきたことは何とも不思議です。

 「八幡様の階段を毎日10回登れ」という父の言葉を信じ、小学校4年生の9月から1か月間毎日続けました。もし、その年の運動会で1着になっていなければ、今の私はなかったでしょう。
 中学3年の7月の放送陸上競技大会前日、私は高熱を出しました。その日、母は1日中水枕を替え、私の体をさすってくれました。もし、その翌日県大会の100mで決勝に残れなかったら、今の私はなかったでしょう。
 霜にあて、温室に入れて育ててくれた親の愛を知りました
 
 中学校1年生の6月、私は鉄棒で車輪をしている最中鉄棒から手を離して落下し、右前腕を骨折しました。私が腕を吊っている姿を見て「こんなことをやらせた俺の責任だ」と中田正雄さんは言いました。もし、その時中田さんの反省の弁を聞いていなければ、今の私はなかったでしょう。
 高校3年生の関東大会の100mで、私は佐野高校記録を数十年ぶりに更新しました。その日、岡島宣八先生は密かに、それまでの記録保持者である小池先輩を上尾の競技場に招待していました。もし、その時に小池先輩から説教をもらっていなければ、今の私はなかったでしょう。
 大学時代に私の所属していた研究室は運動学第一講座というところでした。その頃スポーツ研究所所長の金原勇先生は研究室の垣根を取り払い、親身になって私の面倒をみてくれました。もし、金原先生の研究室の扉が重ければ、今の私はなかったでしょう。
 大学卒業前に静岡県富士市に伺い、加藤晴一先生に弟子入りしました。数年後、先生から「中学日本一になった栃木のハードルの選手を勧誘・指導しないなら俺がつれて行くぞ」という内容の手紙をいただきました。もし、その手紙を見ていなければ、今の私はなかったでしょう。
 教員になって最初のインターハイハンマー投で北山寿男が決勝に進出した時、バックスタンドの芝生席で一緒に見てくれた西藤宏司先生から「なぜアドバイスをしてやらないのだ」と厳しいお言葉をいただきました。もし、あの一言がなければ、今の私はなかったでしょう。
 教員になって12年目の5月、神宮外苑で中村清先生に呼ばれ説教をいただきました。最後に「奥澤先生、あなたが日本の短距離をやっていくのですよ」と言われました。もし、あの一言がなく説教だけで終わっていたら、今の私はなかったでしょう。
 師の言葉の偉大さを実感できるに足る歳になりました。
 
 中学2年生の4月、佐野市立城東中学校にも新入部員がたくさん入部してきました。父親同士も友人だったこともあり、練習だけでなくキャンプや外食なども楽しみました。もし、新入部員の中に若林秀夫さんの姿が見えなければ、今の私はなかったでしょう。
 大学時代に品田吉博さんに出会い、同じ屋根の下に住み、卒業後も『速く走ること』をテーマに研究を続けました。もし、高校時代の希望進路がどちらかが違っていれば、今の私はなかったでしょう。
 もし、大学時代から指導していた篠原修や北山寿男からはじまり今日までであった選手、その中でも新里敏幸から始まり齋藤仁志へと続く短距離選手に会っていなければ、今の私はなかったでしょう。
 教員になって9年目の冬、和歌山に100m中学チャンピオンの青戸慎司を勧誘に行ったとき「青戸はウチに来る。でも、スプリントの本質はあなたにみてもらうから、よろしくね」と松本一廣先生は言ってくれました。
 もし、あの時和歌山で松本先生の言葉を信じ、青戸と一緒に究極のスプリントを求めることがなければ、今の私はなかったでしょう。
 弟子が『自分の心を自分の言葉で話す』のを聞く時こそ、指導者冥利につきるものだな、ということが実感できるようになってきました。


 もし、桜井先生をはじめとした県内の指導者と理論闘争をしながら全国のライバル校と闘う心が湧かなかったら、今の私はなかったでしょう。
 もし、北海道の相良先生、岩手の千田(俊)・千田(昭)・小池先生、山形の五十嵐先生、埼玉の原島・高木先生、京都の中島先生、和歌山の松本先生、宮崎の稲垣先生をはじめとした、県外の先生方に元気をいただくことができなければ、今の私はなかったでしょう。
 もし、筑波大学の宮下先生、日本女子体育大学の加藤先生、大阪体育大学の伊藤・栗山先生に情報をいただくことができなかったら、今の私はなかったでしょう。
 
 もし、JUVY立ち上げから一緒に活動している後輩の菅原や教え子の篠原幸雄、川田浩司たちが協力してくれなければ、今の私はなかったでしょう。
 県外で頑張る、田名網純哉、矢代雄紀、成瀬康智たちのエネルギーを感じることができなければ、今の私はなかったでしょう。
 何よりも、大学時代に東幸子に会わなければ、そして妻と二人の倅と一人の娘の四人からの協力と笑いから勇気をもらうことができなければ、今の私はなかったでしょう。
 
 邂逅こそ神の与えしお宝です。
 神のご指示で素晴らしい人に出逢うことができ、その方々を通して神のお力をいただき、なんとかしぶとく生き延び、しぶとく仕事をしてくることができました。


 これまで出会った素晴らしい方々に心から感謝しています。
 皆さまの熱意と知識と経験から生まれる洞察力、そして愛は私にとって本当に貴重な宝となってきました。
 
 人を愛することができない人に人を教えることはできない。
 学を愛することができない人に学を教えることはできない。(岡 潔)



 謹んで感謝申し上げます。ありがとうございました。

 
 





  
  ・「康駿視点」バックナンバー 
     第1回ー人間関係ー(H23.05.08)
     第2回ー速さと強さー(H23.06.08)
     第3回ー岡島宣八先生逝くー(H23.07.08)
     第4回ーインターハイ序破急ー(H23.08.08)
     第5回ーインターハイそして世界選手権終了ー(H23.09.08)
     第6回ー 氣づき ー(H23.10.08)
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     第8回ー 箱根駅伝を読む ー(H23.12.08)
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     第10回ー 日誌のすすめ ー(H24.02.08)

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