時々康駿    第15回(2012.9.28.)       

 前回の康駿からおおよそ一ヶ月経過した。「いくら時々とは言え、間空け過ぎです」と携帯に誰かがメールアドバイス。言い訳を言えば、その期間を実感できないくらい月日が経つのが早い、ということ。いやいや、原稿料のない作業だからという本音もチラホラ。
 その間、日本インカレ、国体合宿、新人戦と続いた。暇とは言え、結構書く時間がないのだ。
 この一ヶ月間で書きたいことは沢山あり、何を書くか迷っていたが、最初のインカレに戻ってしまった。


 今回のインカレは9人の教え子が出場するという朋友の某先生と教え子のNとSとYともうひとりN(N2)、Kたちが一緒だった。何しろ日曜から始まり水曜に終わるのでは、まともに働いている人が国立競技場に来られるわけがない。私のようなプータローならいざ知らず、某先生だけでなく、全員が地位ある立派な社会人なのである。
 それはそうとしても、電話で「おい、インカレ行くぜ」というオイラの優しい一言で、国立競技場フィニッシュライン最上段に毎日毎日多くのクラブ員が集結するのは不思議なことでした。それだけでなく日付が変わるまで一緒にいるなんてね。
 その最上段の話に戻るが、SとN2は「途中調達した」という保冷袋を取り出すと、「プシュといわすと泡が出る琥珀色の液体」や「鹿児島県産の芋が原料という透き通った水より濃い液体」とコップと氷が入っているではないか。
 しかし、俺はサブにも行かなければならないし、VIPに会う約束もしている。証拠を残さないように少しずつやっていた。(最初はね)何せ、付き合いの良さが身上ですから。(最後は結構付き合わさせていたようですが)
 その時、ふと思った。学連は記者席をチケット制にすべきだと。なぜなら、どこやらの大学が座りもしないで場所取りなんぞをしており、関係種目がくると、記者席で応援するという考えられないことをしていたからだ。「おまえら、うるせー」と何度言いかけたことか。しかし、良い香りを漂わせているおじさん+爺軍団にとっては彼らの反論が怖い。せっかく確保した上席も一瞬でフイになってしまう。
 そこで上記の考えに至ったのである。そう、相撲のマス席、神宮球場のファミリー席でんねん。現在収入のない俺は素早く夢を見て計算に取り掛かかったね。すると一日50万円はかたいことにあいなった。競技場も元気でるし、売店は儲かるし、学連は4日で200万でっせ。
 まあ、そんなこと考える輩は飼いならされた若者の中にはおらんだろうね。(なぜ、銭儲けや怖い人の話は関西弁になるのだろう…。)


 もう一つ思ったことがあります。(急にですます調に変わります)インカレの応援合戦です。
某先生と顔を見合わせながら「これが最良の方法か」「親に見せられないようなこともないわけではないな」などと考えてしまいました。
 日本は、野球やサッカーなどの応援に代表されるように、激しい集団応援をします。それはそれで楽しいことは知っています。
 しかし、あの方法がベストとは思えないのです。オリンピックを味わうとわかりますが、声援の種類が違います。もし、日本がスポーツの国際化をすすめるならば、あのような応援風景はいかがなものなのでしょう。
 語学学習や姉妹都市を訪問することだけで国際感覚を身につけることは不可能です。それはスポーツの世界でも同じで、国際試合に出場し英語でコミニュケーションしたから、あるいは外国遠征したからなどで国際化が図れたなどと思っても、多くの国際人は相手にしません。そんなことは国際化に貢献するためには入口に過ぎないからです。
 インカレは対校戦です。素晴らしいレースを見たら、負者応援席からも勝者に敬意を表すエールを送ることも悪いことではないでしょう。それが、レースが終わるたびに「よーくやった、よーくやった、よーくやった○○」ですから。これでは国際化の心は育たないでしょう。親睦など深まるはずはないのです。親睦的態度こそ国際化の基本です。最近の外交問題には親睦という言葉は浮かびません。それはそれで生易しいことではないことは重々承知の上での発言ですが。


 ひとつ考えてみませんか。
 昔は学校の授業で学んだことだけで十分に生活できたようです。しかし現在は、授業以外のことも常に勉強していなければ社会の変化に対応などできません。
 ならば、スポーツの世界でも勉強の大切さを教えなければなりません。そのようなところから国際化への導入とすべきです。
 例えば、部活動では練習だけでなく組織における運営能力を身につけるため「役員組織のあり方」「事業内容と予算・決算」「客観能力や修正能力」などを真剣に考えさせ、実践能力を高めてやることが必要なのです。そこにはわがままは許されませんから、親睦団体としての部活動が成立します。そのようなことが身に付けば国際化に対する感覚も自然と身につくのではないでしょうか。
なんとも学校の授業だけで、勝利至上主義の部活動だけでは若者の先が見えるようで、恐怖感さえ感じます。


 戸波隆氏の言葉が気になったので引用します。
「薄さが取り得のFaceBookやTwitterに現を抜かす日本人は、戦後米国洗脳文化が成功した証明である。『登ったら降りる』成長し続けることはありえない。70億がバカに戻り再スタート。永遠の振動を繰り返し、適当な時点で絶滅する。」


 「殴られてもOK」の時代にスポーツをしていた人が「殴っても良いのではないか」と言っても、今の指導者で責任をもって殴れる人がいるはずがない。当たり前の話である。そこに60過ぎの人間と今を生きる指導者のギャップがある。
 スポーツに純粋に生きてきた元アスリートが、自分の経済的な利害を中心にスポーツをしている若者を認める世の中がある、ということに気づかずにこの国で同居しているというスポーツにおける国家構成がある。
 スポーツを通して国際化を目指すなら、まずは誰にでもできること、優勝劣敗意識をなくし、老若男女、ライバル同士が垣根を越え、共通の喜びを味わえる場にしよう。
そんなことにまで思いが動いた、インカレの応援合戦でした。







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