時々康駿    第16回(2012.10.17.)       


 長い遠征は久しぶりだった。10月3日に出発し14日に帰宅した。ところが11泊12日は長いとは感じなかった。もともと「インマイライフ リセット トリップ」と位置づけていたこともある。むしろ、国体が終わってすぐに帰っていたらリセットはまず無理、今までと同じような生活がこれからも続いたはずである。
ところが9日から14日までの5泊6日に限りなく貴重な体験をすることができた。
そのうちの四日間について書いておきたい。


 旅はもともと好きだから苦痛にはならない。9日に岐阜を出発し、関ヶ原〜彦根〜安土〜大和〜飛鳥と文字通り歩き回った後、泉大津に入った。
 歩き回りの最後を飛鳥としたのは、私が若かりし頃の1977年、岡山IH終了後、出場した佐野高校部員と旅をした、文字通り「駆け出しのハナタレ小僧時代」を回顧したいと思ったからである。


 ここでお断りしておくが、今回の文章は実名で書かせていただく。そのほうが文章に迫力が出る、と思ったからだ。ただし、本人の許可は得ていない。苦情覚悟で度胸を決めることにする。


 11日、泉大津の宿でチェックインしているところに伊藤章大阪体育大学教授がホテルに到着。「すぐに行こう、予約してある」ということで、駅前で吉永一行と品田直宏と合流し伊藤先生行きつけの居酒屋で飲みながら4〜5時間スプリント談義をした。ここでは、現状で知りうる多くの話題が出た。


 翌12日は伊藤先生の車に同乗し大学の研究室に向かった。そこで3時間あまり、四人で「小さな小さな、されどとてつもなく大きな勉強会」を行った。昨夜とは違い素晴らしいデータ提示していただき、最新のスプリント技術への示唆が示された。


 昨夜から勉強会までの7〜8時間で38年間の短距離指導の総括ができ、心晴れ晴れとなった。つまり今回の旅の目的のリセットの導入は実にスムースに入ることができたわけだ。
以下、簡単に記す。
1 新里敏幸の指導(1976〜)……膝を上げることより、両足のタイミングを取ること。(○)
2 栗原浩司の指導(1980〜)……接地足の膝を伸ばしながら膝を大きく引き出すこと。(×)
3 大野功二の指導(1989〜)……接地時に足関節と膝関節を曲げた状態で固定し、曲げたまま骨盤を前方に移動する。膝は上げるよりスライドさせる。(◎)
4 現役選手の走りについても数多く出たが、今後変わる可能性もあるので、今回は書かないでおく。
もちろん◎や○は伊藤先生の評価はOKということであり、伊藤先生は「栗原の走りは…だが、大野の走りはカール・ルイスの走法である」と断言した。
実は、10月6・7・8日の3日間大野と夕食を共にし、忘れかけていた記憶を本人の証言で確実なものにしておいたので話題はすぐに引き出せたのである。
「同じ指導者が教えても、資質や指導法で別なタイプの選手が育つなど」話はトントン拍子に進んだ。


 勉強会終了後京都に向かい、夕刻からの「洛南高校インターハイ総合優勝祝賀会」に出席した。500人を超すパーティで知事、市長らも出席。そのセカンドテーブルに座ることになった。隣には品田や斎藤がお世話になった岐阜経済大学総監督の小倉新司先生、さらに大阪高校元監督で現校長の岡本博先生、そして八女工業高校元監督で現総監督の緒方善政先生と続く。
ここで2時間陸上談義。もちろん近畿圏の指導者が入れ替わり立ち替わり酌にくる。
パーティもまもなく終わる頃、洛南の中島先生より次席の案内がくる。「祇園の『た奈か』で、(上記の)4人で待っといてください。会の整理がついたら追いかけますわ」


 もちろん賢明な読者はお分かりかと思うが、四人とは、「若造の私が追いかけた『リレーの八女工』の緒方先生」「佐野高校時代リレーで追いかけられ、そして追いこされ、さらには日本高校記録を樹立した岡本先生」「三年連続両リレー入賞の翌年の山口IHでは佐野高校は失敗した。その時、なぜか私は洛南の支援にまわった。そこで洛南はリレー中心に総合優勝をしたわけであるが『そのことを鮮明に覚えている』という中島先生」「大垣商業時代を中心に多くの日本的スプリンターとジャンパーを輩出してきた小倉先生」と祇園で飲むとは思いもよらなかった。先ほど遭った祇園の芸妓に騙されたか?夢か幻か?と思いながら「た奈か」に到着。


 諸先輩は、還暦を過ぎたがまだまだ若造の私の話を真剣に聞いてくれた。
互いに己の成果を誇示せず、己の思想は柔らかく、しかし己の主張は堂々と会話を進めた。
ここ数十年このような会話はできなかった。少なくとも県内では…。
諸先輩との会話の途中で、小さな世界に閉じこもっていた自分がはっきりと見え、ひとり赤面した。
往時のことから現況のIHまで、リレー競技から個々のスプリンターまで、理想的指導論から代表的指導者の方法論まで、全くと言ってよいほど話題は尽きず、気づけば翌日。これほど別れ惜しい宴も近年はなかった。誰も全くと言ってよいほど酔ってない(ように見えた)。


 八女も大阪も洛南も佐野もガチンコで戦ってきたIHのリレー競技。そのころの生き方が蘇った。
「小さな世界の安定のため保守的に生きよ」と言い聞かせながら生きてきた佐野高校転勤後の自分。だからこそ、県教委や校長職が務まったのだろうが…。
帰りの車の中で「自分の主張を封印しながら生きるなら、そのような世界には足を踏み入れる必要はない」と結論が出た。


 翌13日は洛南高校を訪ね、岐阜国体100mを日本高校記録で優勝した桐生君の練習を拝見する。
練習後は柴田先生から依頼されての「私のスプリントにかける思い」の即席講話。そして東寺見学。


 今回の私の旅が終わる14日、淀の競馬場でコーナーを抜ける馬の速さに「目が狂っていたな。テレビなどの映像機器で確認するだけで本物のスピード感を忘れていたな。もちろんスポーツを見る目も狂っていただろうな」と思いつつ買った秋華賞はゲットした。(たまたまだけどね。)


 帰りの新幹線で「やっと退職できた」という本音の結論を出すことができた。
 

 これからは、38年間でやってきたことを正直に伝えて行きたい。
わかるひとに、わかるとき、わかるまで。
そんな「人」と「時」と「話」は私自身が判断しますわ。
また、わがままが戻ったようだ。




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