時々康駿    第20回(2013.2.6.)       

 佐野市に63回を数える駅伝大会がある。昭和26年に第一回大会が開催された。この年からNHK紅白歌合戦も始まった。私の生まれた年でもある。その駅伝は当初「大澤龍雄追悼駅伝競走大会」と言う名称であった。その後、ご遺族の願いもあり「大澤駅伝競走大会」となった。名称は変わっても大会開催数は同じ大会としてカウントしてきた。


 ここで大澤龍雄なる人物を紹介せねばならない。
大澤は群馬県の生まれである。父親の勤務の関係で栃木県常盤村大字牧(現在の佐野市牧町)に転居した。大澤の誕生に佐野中学(現佐野高校)陸上競技部創部が重なるわけであるが、単なる偶然とは考えたくない。5年後生誕、創部100年を迎える。


 大澤は佐野中学に入学すると競技部に入部した。自宅から学校までのおおよそ10マイルを度々走って通ったらしい。汽車で通う友人にカバンを預け、友人より先に学校に到着していたこともあった、と言う逸話も残されている。
 中学で大活躍した大澤は多くの大学から勧誘されたが日本大学経済学部に進学した。日本大学時代の大澤は、箱根駅伝やインカレの活躍はもとより国内外の試合でも素晴らしい結果を残していった。昭和15年には3000mSCで9'25"2の日本記録を樹立、日本の期待を一身に受ける選手にまで成長した。
 しかし、時局は大澤に陸上競技での活躍の芽を摘んでいく。宇都宮歩兵連隊に配属された大澤はパラオ諸島のアンガルウ島の激戦で帰らぬ人となった。
 この戦いは激戦というより悲惨な戦いであった。日本兵1,250人に対しアメリカ兵21,000人のうち、日本は1,191名が戦死、対するアメリカ兵は260人の犠牲者だったと言われる。(出典Wikipedia)


 話を大澤駅伝に戻す。
 大会プログラムの先頭ページには大会趣旨として以下の内容が記載されている。
『佐野市を一本のたすきに託す本大会の歴史は、昭和26年にさかのぼります。郷土の生んだ偉大な長距離ランナー・大澤龍雄氏が太平洋戦争で戦死されたことにより、その追悼行事として、第二・第三の大澤選手が出現することを祈念しはじまりました。佐野市に新春を告げる一大スポーツイベントとして続いてきましたが、これまでの大会に参加したチームは、述べ4,425チーム、参加者総数は33,401名にのぼります。本大会を登竜門として、オリンピックの日本代表や、国内外の大会で活躍する選手を数多く輩出してきました。今回も、陸上競技の普及と競技力の向上を図るとともに、地域の連帯の絆を一層強めることを目的に開催します。』
 私は当日の朝このプログラムを渡され、控え室で目を通したが、文中三点ほど?がつく部分があった。
 一つ目は佐野市中心部から旧田沼町、旧葛生町を使用するコースから競技場周辺道路を使用する周回コースになったことから「佐野市を一本のタスキでつないでいるわけではない」ということ。二つ目は当初正月に行われていた大会が二月開催となったことで、「新春としてよいのか」ということ。さらにこの大会が登竜門とあるが、「登竜門は登れば龍になるわけであるから、多少荷が重いかな」ということが三点目である。(この大滝を登って龍雄になる、意があれば別であるが、そこまでシャレてはいないだろう)


 しかしそんなことは大した問題ではない。
 私はこの趣旨には最も根本的な問題が欠落しているのではないかと思っている。
それは平和への願いに関する文言が全くないことである。
戦争で亡くなられた方々は誰もが同じ犠牲者として扱わなければならない。私の叔父もその一人であった。今思えば、ひょっとすると大澤龍雄だけを追悼するようなことにご遺族は抵抗感を持たれての大会名変更を申し出たのかもしれない。
 とはいえこの大会はわたしが実行委員長を仰せつかっており、委員長として3回目の大会である。
 それならばなぜ上述の問題を放っておくのか、とお叱りの言葉をいただいても仕方がない。
 言い訳ではないが、委員長就任一年目には閉会式挨拶に平和についていれた。それでも二回目のプロには趣旨内容が同じものが出されていたので驚いた。そこで私なりに校正したものを担当者に渡し、検討をせまった。それでも、残念ながらとしか言い様がない事態、今回も同じ趣旨内容であった。
 担当者は他に仕事を持ちながらの準備である。それでも、平和教育を推進する立場にある職業をしているのなら、新趣旨文として欲しかった。私自身のしつこいチェックが足りなかったのが最大の原因であった、と反省している。

 
 昨年度の栃木県高校駅伝はこの大澤駅伝と同じコースで初めて開催され、優勝した白鴎大学足利高校は京都の全国大会で初出場初入賞という快挙を成し遂げた。素晴らしいことだ。めでたいことだ。私自身も佐野高校監督時代この大会三連覇を達成する幸運に恵まれたこともある。


 しかし、この年になってくると結果だけを追い求めるということが「戦後の経済成長至上主義」に重なって仕方がない。戦後の経済至上主義からの脱却はスポーツにおける優勝劣敗思想からの脱却のようなもので、まずは教育から始めよ!なのである。それゆえに、その考えを教育者そのものが理解し、納得し、実践しなければならないのなら、大会趣旨をもう少し膨らませる必要がありそうだ。


 沖縄に修学旅行に行く大きな理由のひとつに「平和教育」がある。「百聞は一見にしかず」であるが、本当に平和教育を事前事後細く長くしているのだろうか。永遠に心のひだに平和の素晴らしさが残るようなものでなければならない。
 大沢駅伝にも同様の感性でのぞまなければならないのではないだろうか。


 次年度の開催までには、あらためて趣旨を考え直して提案したい。大澤駅伝と県高校駅伝(今年開催の関東高校駅伝)は同じコースを走るにしても基本的に趣旨が同じではないはずだ。私だけでなく、担当者の平和教育への感性を求めるものである。


 最後に誤解のないように言っておくが、私はスポーツの世界で勝利至上主義は否定するが、勝利そのものを否定するものではない。むしろ選手の総合力を伸ばし、その結果勝利することに高い価値を見出しているものである。


参考1:三好徹・著「興亡と夢」(集英社文庫)は世界の中で日本がなぜ戦争に突入して行ってしまったのか?太平洋戦争を知るのにわかりやすい本です。

参考2:大澤龍雄の墓は佐野市牧町「秀林寺の南山斜面」にあります。「故陸軍中尉大澤龍雄墓」とありますからすぐにわかるでしょう。側面に大澤の詳細が刻まれていますのでご覧下さい。

参考3:大澤の日本記録は戦後高橋進に破られたが、大澤の佐野高校の後輩奧澤善二が奪い返し、東京五輪に出場した。そのとき国立競技場で奥澤の走る姿をみたひとりの女性が「ああお兄ちゃんはこうやって走っていたのか」とつぶやいた。その女性こそ大澤の妹の歌子であった。



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