時々康駿    第9回(2012.7.4.)       

 退職した4月から新聞をとるのをやめた。
 理由はない。とは言っても「最近の新聞は真実だけを伝えているか? 記事が感想になっていないか? 失敗した人間の責任追及が多く、原因追究がイマイチではないか?などの疑問が生まれていたのが理由と言えば理由なのだが。
 10代のころは「新聞を読め」と命じられ読んだ。20代〜30代では新聞がなければ生きていけないくらいよく読んだ。それが還暦に近づくにつれ、面白い記事と面白くない記事がはっきりしてきた。そこで冒頭に戻るわけである。
 だからと言って新聞を嫌いになったわけではまったくない。旅に出るとインターネットは使わず、情報はもっぱら新聞に頼ることになる。そのような時に刺激的な記事に出会うと、ものすごく得をした気分になる。先月の旅でも刺激的なものに出くわした。

 「大学の教授たちは、あまりにも無責任で無知で恥知らずで強圧的言動があった」(東大全共闘1968−1969、某W氏)
 私が高校2年から3年にかけて嵐がおきた。とは言えそれ以前から予兆はあった。身近なことで言えば、佐野高校では学帽と制帽の自由化闘争(?)が生徒側の勝利となっていた。要は若者が何かに気付き、自らの力をもって何かを解決をしたかったわけだ。
 おそらく現在の若者も何かには気付いているはずだ。旅先の新聞で大学紛争時代の大学教授についてWなる人物の言葉を拾った時、私は胸の鼓動が鳴りやまなかった。そのようなことが、今の大学にはないのか。下がって高校にはないのか、との思いが、「さあ飲め」といきなりウオッカを突きつけられ、意に反さず一気にあおったような強烈な刺激を受けたからである。
 他人はどうでもよい。問題は自分だ。
 私は県教委に転勤して数年たち、ふと自分を見つめなおしたことがあった。そのころ以下のようなことを痛切に感じたことからJUVYを立ち上げたのだ。
 「いまだに民からの血税で給料を得ているにもかかわらず、何も感じない自分でいることが恥ずかしい。自由なアスリートを目指し、自由なコーチとして生きることを夢見てきた自分が、権力・体制・議会などの言葉に振りまわされ、薄っぺらな自分になっていることを深く反省しなければならない」

 私自身現役中に「組織に属する者はその組織を背負っているという自覚と責任感を持たなければならない」という、きれい事は何度も言われてきた。それはあなた方も同じだと思う。
では、できているのか?できたのか?

 本音を話す。
 専門の勉強はしている、と思っていても多くは薄っぺらなもの、その分総合力は身に付かず、度胸はなく、いざとなったら腰を引く、それが多くの教師というものだ。公人としての役割を自覚せず、社会が要求する役割を全うするから尊敬されるのであるという事実を忘れ、教師だから尊敬されて当たり前と思っているものが目に付いて仕方がなかったのだ。

 若者と会う。飲む。話す。未来に時間を有する若さや身体的な若さを羨ましく思うが、全身全霊をかけて自分を貫くことができなくなっている若者にはある種絶望感さえ感じる。

 このような事を話せるのも、あの日の新聞のおかげだ。記者との一期一会も亦楽しからず、か。



「時々康駿」バックナンバー
     第1回(H24.05.01)
     第2回(H24.05.08)
     第3回(H24.05.13)
     第4回(H24.05.24)
     第5回(H24.05.31)
     第6回(H24.06.06)
     第7回(H24.06.19)
     第8回(H24.06.28)



  ・VUVY TC HP 連載 「康駿視点」バックナンバー
  ・Circle-VUVY8 HP 連載 「JGMからの”四季の風”」 バックナンバー へ